混ざり合う2色~映画ピンクとグレー感想~
※ネタバレを含みます。ご注意ください。
私は元々この物語が好きでした。
アイドルが書いたとか男の子二人が出てるとかそういうことは全部抜きにしてこの物語というものが好きだった。
だから、最初に映画になると聞いて『えっ、やめなよ…あれはあのままが美しいのに…』
と思っていた。
が、それは間違いだった。
あまり映画を見る人間ではないが、この作品だけはもう一度、何度でも見たいと思わせてくれる。
映画はごっちのお姉さんのダンスのシーンから始まる。
本当に美しかった。あの踊りを、ファレノプシスを、忠実に再現しようとしている、あぁ、動いている。
そう思った途端に私の何かが弾けて涙が止まらなかった。
そのシーンのあとはりばちゃんが引っ越してきたところ、ごっち・サリーとの出会い、高校時代とさくさくと進んでいく。
要は重要なのは出会いでも高校時代ではないということだ。
そして彼らは大人になっていく。すれ違っていく。ごっちは白木蓮吾としてカリスマになっていく。りばちゃんは取り残されたまま立ち止まっている。
スターダムに登り詰めたごっちと取り残されのりばちゃんの関係性がギクシャクしていく過程までもが美しく描かれていて、なぜだかモヤモヤした。
62分後に何かが起こるなどとやけに62分後を押していたこの作品。
確かに62分後は衝撃的であった。
観客は騙されていたのだと。
りばちゃんがごっちだったのだ。
私たちはずっと劇中劇を見させられていた。
今まで見ていたのはごっちが死ぬまでのを、もうごっちが死んでいた世界でりばちゃんが見てきたごっちをりばちゃん自身が演じていたのだ。
そこからは怒涛のように物語は進んでいく。
そしてここからは原作にはない話だ。
芸能界の汚さやそれに上手く染まれないりばちゃん。
ごっちが死んだ世界はモノクロで描かれている。そこに突然現れた謎の男。それは死んだはずのごっちだった。ごっちだけは色づいていた。
きっとりばちゃんの中でごっちは世界のすべてだったのかもしれない。
友達以上で恋人より家族よりなにより彼が世界のすべてだったのかもしれない。
ごっちのいない世界はりばちゃんにはモノクロにしか映らないのだろう。
ラスト手前でごっちが死んだ場所にりばちゃんは足を運ぶ。
そこにりばちゃんも現れる。
ごっちは自分の死について語る。だがなぜ死んだのかはわからない。でもそれはやらないといけないことで、彼にはやらない選択肢はなかった。ただそれだけなのだ。
でも、それでも、納得したように泣きながら『アホやなあ…』と言いながらごっちに抱きつくりばちゃんの世界はだんだんと色づいていた。
やっと、ピンクとグレーが交ざりあえたのだ。
なんだかこの作品を見ているときずっと泣いていた。
涙が止まらなかった。小説で腑に落ちなかったラストも報われないごっちもりばちゃんも映画でやっと昇華された気がした。
やはり私はこの物語が好きだ。
そして作中にしきりに出てくる
『やらないなんてない』
という台詞。これはきっと作者である当時の加藤さんの心情が強く反映された台詞なのだろうと改めて映画を見て感じた。
きっと加藤さんの当時の思いも一緒に昇華されただろう。
うだうだとここまで書いたがやはり劇場に足を運んで実際にその目でみてほしい。
中島裕翔くんの振りきった演技、菅田将暉くんの切り替え力と演技の幅の広さ、青春のみずみずしさ、輝き、痛さと傷をその目で観て感じてほしいです。